【「いきたひ」上映会@ゆいま〜る】
こんにちは!西千葉でマクロビオティック・アロマ&ハーブ・英会話の教室を開いているNomadのアキです。
蘇我のゆいま〜るさんで行われた、映画「いきたひ」の上映会に行ってきました(^-^)
「いきたひ」は以前にFacebookで見掛けてから氣になっていた作品。今日は長谷川監督のお話も伺えると聞いて、楽しみに出掛けました。
「いきたひ」は家族での看取りをテーマにしたドキュメンタリー映画。フリーアナウンサーであり、シンガーソングライターでもある長谷川監督が、ナレーション、監督、殆どの撮影と1人何役もこなして作られた初監督作品と伺って驚きました(*_*)
長谷川監督はガンで余命宣告されたご主人の闘病生活を記録し、お子さん4人と一緒に自宅でご主人を看取ったことがきっかけで「いきたひ」を作られたそう。
看取り士の柴田久美子さん、自宅で家族を看取った方々へのインタビューに始まり、ご主人の亡くなる直前の姿、ご遺体を囲んだ家族の会話などで構成されていましたが、最初から最後まで満員の会場のあちこちからすすり泣く声が聞こえていました。わたしも全篇を通じてほぼ泣き通し。不思議なことに看取る辛さや哀しさという氣持ちではなく、自分がいかに愛されていたかを実感し、感動しての涙でした。
映画の中でこころに残ったことは
◯ほんの60年前まで人は家で死を迎えていたが、その場所が病院に変わり死が身近でなくなった。恐ろしいもの、お清めの塩を使うような穢れたものや災いと扱われるようになってしまった。
◯死が苦という歴史を変えることが大切。看取ったことで救われるのは看取った本人。
◯生まれた時(誰かに)抱かれて始まる人生だから、終わる時にも抱かれて終わるのが自然で当たり前だが、それが忘れられている。
◯こどもの方が死に対して本能的に感じやすい。少し前まで自分たちがいた場所に、亡くなった方々はつい最近まで子どもたちがいた場所に還っていくだけだと分かっている。
◯看取った人たちはお世話させてもらえることをありがたいと思う場合が殆ど。自分が幼い頃に親にしてもらっていたことを思い出して感謝する。
◯亡くなる時に人は自ら命の幕引きに向かっていき、ものすごいエネルギーを放出する。亡くなる人に触れていると、放出されたエネルギーがそこからチャージされる。これが生命のバトン。(映画からもこのエネルギーは放出されていたようで、エアコンが効かないくらい会場が暑かった!)
◯亡くなった人は大切な家族や誰かの心臓の中に再誕生するから、いつも一緒にそばにいる。
上映会後は監督自ら弾き語りと瞑想の時間、映画についてのお話をして下さいました。
その中で、タイトルの「いきたひ(生死)」に込められた意味を教えて下さいましたが、常日頃からマクロビオティックで話されていることと一緒だったので、更に深くわたしの中に刻まれました。
印象的だったのは、亡くなる前にも「四十九日」(という概念)があり、ちょうどその頃から人生の清算が始まる、ということ。言いたいことが言えなかった人は暴言を吐き、食べたいものが食べられなかった人は暴飲暴食をして、帳尻合わせをする。わたしがこれから看取る人が誰なのか、わたしが看取られる側になることがあるのか、今は分かりません。それでも、この帳尻合わせの話を知ることで自分も相手も大らかに受け止められるのかもしれないと思いました。
死というのは本来なら自分自身が天命をやり尽くした時にやってくる。その日に向かっていくわたしたちは、今当たり前にある日々を大切に、自分を愛し認めて生きていくのが大切。時々自分で難しくしてしまうこともあるけれど、改めてこのシンプルな生き方を続け天命を全うしていこうと思います(^-^)
和装が素敵だった長谷川監督。上映会後には参加者さまとの食事会(ひつき屋さん)に参加させていただきました(^-^)
⇧参加した上映会のFacebookページ
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